ばんごう | かん | ばしょ | きごう | しりょうくぶん | 禁帯 | しりょうじょうたい | びこう |
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32827491 | 風樹文庫 | 一般コーナー | 760 2001 | 一般書 |
タイトル | 山田耕筰著作全集 |
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タイトルヨミ | ヤマダ/コウサク/チョサク/ゼンシュウ |
巻次 | 2 |
著者 | 山田/耕筰‖[著] |
著者ヨミ | ヤマダ,コウサク |
著者 | 後藤/暢子‖編 |
著者ヨミ | ゴトウ,ノブコ |
著者 | 団/伊玖磨‖編 |
著者ヨミ | ダン,イクマ |
著者 | 遠山/一行‖編 |
著者ヨミ | トオヤマ,カズユキ |
出版者 | 岩波書店 |
出版者ヨミ | イワナミ/ショテン |
本体価格 | ¥16000 |
内容紹介 | 山田耕筰の音楽作品を除外した著作を、主題別にまとめ編集した初の全集。第2巻には、現代の大作曲者に対する印象、未刊の随筆、『詩と音楽』の編集後記、などを収録する。 |
ISBN(10桁) | 4-00-092432-X |
出版年月,頒布年月等 | 2001.6 |
ページ数等 | 729p |
大きさ | 23cm |
NDC9版 | 760.8 |
タイトル | 私の観た現代の大作曲者 |
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朗詠と曲譜 | |
昔の管絃楽と今の管絃楽 | |
振はなかつた楽壇 | |
「スクリアビンとディゥビゥッスィーの夕」を聞いて | |
佐藤謙三君を聴いて | |
上野の森の樹へ | |
アメリカの音楽 | |
演奏に際して | |
「アイーダ」細評 | |
「カルメン」細評 | |
露国公爵夫人の独唱を聴く | |
丁抹の楽人ロランジ氏 | |
傍註を辿つて | |
ニジンスキーの舞踊を観た記憶 | |
各部の不統一が最大の欠点 | |
兵卒のない我が楽団 | |
ジャヅ音楽の流行を看る | |
禽獣の舞踊と植物の舞踊 | |
純舞踊のために「書き卸し」の音楽 | |
提琴家ヂ氏に就て | |
私がマンハツタン歌劇場で観た「お蝶」・三浦環夫人の技倆 | |
酒よりも恐い流行のダンス | |
貧しい乍ら幸福な日本の音楽界 | |
松島彜子氏作品発表会を聴きて | |
大提琴家ピアストロ氏 | |
文化学院女生徒の舞踊 | |
一隅より | |
楽団に見る各国気質 | |
パヴロワの本質 | |
トーダンスの世界的名手パヴロワ夫人 | |
ペタル使用の名手ゴ氏 | |
新舞踊に対して | |
楽界を顧みて | |
私の見る小倉末子氏 | |
伊太利歌劇を聴いて | |
私の見たるクライスラー氏 | |
音楽と蓄音機 | |
蓄音機の効果 | |
蓄音機の欠点 | |
新条約で楽壇にも春は近づく | |
美しい椿姫 | |
我徒の抱負 | |
カーピ歌劇団批評 | |
日露交驩交響楽祭に際して | |
日露交驩交響楽祭 | |
音楽の最高価値は交響楽的管絃楽 | |
ラヂオ放送雑感 | |
彼の光りの半面 | |
交響楽の悲鳴 | |
交響楽の悩み | |
現在の日本楽壇 | |
将来楽壇の年中行事に | |
交響楽の烽火 | |
ス氏と私との仲 | |
楽壇回顧 | |
宗教音楽の将来 | |
日本人にあふやうな国民的歌劇がほしい | |
関屋敏子を聴く | |
自作「堕ちたる天女」上演所感 | |
永田竜雄君に答ふ | |
一九三〇年への待望 | |
楽壇よ展開せよ | |
眼から耳の時代へ | |
劇場音楽の将来 | |
歌劇時代来る | |
歌劇「お蝶夫人」と日本娘の貞操 | |
歌劇の新しき路 | |
ソヴエート音楽の印象 | |
「デイスク芸術」と文化浪花節 | |
ピアノの伴奏で大衆向きの新浪曲 | |
「三文オペラ」の問題 | |
ディスク芸術・トーキー・その他 | |
「人生案内」への「案内」 | |
紫雲英田 | |
霊で歌ひ語る声 | |
作曲家放送料の問題批判 | |
歌劇台本の募集について | |
鬼才ムソルグスキーの楽劇 | |
大衆の間に起きて来たオペラへの興味 | |
トーキーの音楽 | |
外人芸術家の眼に映る日本人の現実の姿 | |
新劇と落語家 | |
「カルメン」上演に就て | |
「音楽劇」への道 | |
「カルメン」の新演出について | |
ダンチェンコと私の場合 | |
楽聖映画の流行 | |
フランツ・ラハナー紹介 | |
映画音楽論 | |
「新しき土」の作曲記録 | |
映画音楽に就て | |
再びピアストロを迎へて | |
音楽行脚の旅を終へ作曲慾に燃える | |
欧洲より帰りて | |
欧洲楽壇の動向 | |
滞独雑感 | |
帰朝随想 | |
シネ音楽私見 | |
ナチ独逸人を語る | |
時局を語る | |
音楽外交 | |
戦争交響楽 | |
将来の音楽への希望 | |
耳の時代 | |
巷の外交論 | |
歌劇「夜明け」の後書 | |
国民音楽の樹立 | |
「夜明け」その他 | |
呉泰次郎君の声明書に就て | |
国民歌劇 | |
歌劇運動の方向 | |
日本交響楽運動の思ひ出 | |
音楽家の臨戦態勢 | |
大東亜戦争と音楽家の覚悟 | |
大東亜音楽興隆に | |
結ばれた二万の心 | |
大東亜音楽建設の第一歩 | |
決戦下楽壇の責任 | |
米英撃滅の為の音楽文化戦線の確立強化 | |
敢へて叫ぶ | |
大衆生活と音楽 | |
音楽の総てを戦ひに捧げん | |
日本楽壇の現状 | |
国民音楽創造の責務 | |
国民の血の中へ | |
音楽人の進路 | |
戦意昻揚に独創性 | |
敵米国の音楽観と我等の進撃 | |
果して誰が戦争犯罪者か | |
選者の言葉 | |
放送大学の開設を提唱する | |
放送大学をつくれ | |
ユーディ・メニューヒン | |
ローゼンシュトック氏を招く | |
才能教育の是非 | |
音楽を心の糧として… | |
四十年の歴史をもつ… | |
ジャズと純音楽 | |
黒船雑抄 | |
「君が代」に対する私見 | |
日本の歌謡 | |
フルトヴェングラーの思い出 | |
新春の言葉 | |
音楽と演劇の結びつき | |
忘れえぬ「法悦」 | |
タッカーを聴いての所感 | |
オペラ劇場建設について | |
実った善意のウソ | |
いま一度魂の世界を | |
一九五七年の課題 | |
トスカニーニの一断面 | |
驚くべき記憶力 | |
一九三一年と三二年の… | |
民衆とのアンサンブル | |
レニングラード交響楽団を聴いて | |
レニングラード交響楽団を迎えて | |
リカルド・サントスを迎えて | |
二三日前の晩でした… | |
日本オペラに望む | |
オペラ上演におもう | |
日本音楽と西洋音楽とを… | |
伯林の王立劇場 | |
ブルッフ氏とダンカン夫人 | |
音楽に志す若き人々へ | |
舞踊劇の将来 | |
管絃楽とは如何なるものか | |
私のいふ本当の歌劇 | |
有名の空名 | |
家庭に於ける音楽の必要 | |
西洋音楽の聴き方 | |
イサドラ・ダンカン女史 | |
ヤシヤ・ハイフエッツ君に | |
私のいふ芸術教育 | |
西洋音楽の聴き方 | |
旋律の誕生とその生ひ立ち | |
炉辺楽話 | |
揺籃歌から | |
魔王的ピアニスト・レオ・シロタ氏に就て | |
私が教師なら | |
「楽劇協会」と「堕ちたる天女」 | |
心の準備 | |
トスカニーニの眼、頭、耳 | |
ソヴエート音楽の旅 | |
「薔薇の騎士」の初演を見る | |
子供とおつたん | |
洋楽夜話 | |
洋楽夜話 | |
シネ・オペレツタ「みどり」 | |
音楽を志す人へ | |
芸術と生活 | |
歌劇「夜明け」について | |
オペラは祟る | |
音楽者の耳 | |
「南蛮寺門前」と私 | |
放送と音楽と私 | |
よく歌われる私の曲 | |
ソヴィエート交響楽団の印象記 | |
女性の自我と芸術 | |
歌と祈り | |
詩と音楽の一断面 | |
セルゲイ・プロコフィエフを想う | |
われらの歌をつくるために | |
オペラ運動四十年 | |
オペラと私 | |
人間に必要な音楽 | |
白秋と露風のこと | |
想い出のベルリン・フィルハーモニー | |
レニングラード楽団と私 | |
芸術に国境なし | |
昭和、大正、明治の… | |
赤とんぼの幻影よサヨナラ! | |
楽人十話 | |
芸術と芸能と | |
一言にして言えば… | |
「詩と音楽」編輯後記 | |
「交響楽」巻頭言及び編輯後記 |