ばんごう | かん | ばしょ | きごう | しりょうくぶん | 禁帯 | しりょうじょうたい | びこう |
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62078399 | 原村 | 開架 | 520 ム | 一般書 |
タイトル | 様式の上にあれ |
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無目的なる現代建築様式の煩悶とその解釈 | |
俺の作物よ!! | |
米国における貸金庫見聞記 | |
いわゆる大谷石の庇に対する私の見方と帝国ホテルの感じ | |
建築の経済的環境 | |
現代文化住宅の煩悶 | |
「グラス」に語る | |
ウールウォースの凋落前後 | |
建築一言/商業的一面 | |
建築の経済問題 | |
動きつつ見る | |
フリッツ・ヘーゲル氏の近作 | |
商業価値の限界 | |
チェルニホフの翻訳出版について | |
建築左右展望 | |
防火か避難か | |
日本における折衷主義建築の功禍 | |
木とファンタジー | |
建築の場合 | |
審査 | |
ノイトラ的・ライト的 | |
欧米建築の変遷 | |
ソビエト建築を語る | |
建築美を探る八章 | |
色雑観 | |
しのびよるロマンティシズム | |
都市雑観 | |
人とふれあう建築 | |
編集者への返事 | |
数寄屋造り | |
ディテールについて | |
建築をつくること | |
タリアセンの印象 | |
建築と装飾 | |
私の感銘をうけた本 | |
建築教育考 | |
社会的芸術としての建築をつくるために | |
自然との調和が大切 | |
豊多摩監獄 | |
設計について | |
志摩観光ホテル創建の頃、前後 | |
百貨店・丸栄 | |
聖堂の建築 | |
大阪新歌舞伎座 | |
日生を語る | |
日本生命日比谷ビル | |
光と肌理 | |
宝塚カトリック教会 | |
西宮トラピスチヌ修道院 | |
湖畔の四季 | |
迎賓館の改修に思う | |
建築的遺産の継承 | |
迎賓館赤坂離宮の改装について | |
迎賓館の職人たち | |
松寿荘の建築について | |
追憶二つ | |
安井先生 | |
創設期の建築科教室と佐藤武夫博士 | |
佐藤武夫博士 | |
友 | |
最後の椅子 | |
渡辺節先生の死 | |
渡辺事務所における修業時代 | |
迫憶 | |
内藤先生の思い出 | |
機智と克明の今和次郎学 | |
坂倉準三先生 | |
岸田先生 | |
優れた話術、伊藤先生を懐う | |
“なつめ”吉岡氏を語る | |
吉田流 | |
吉田五十八氏の作品作風 | |
吉田流私見 | |
温故知新 | |
人と人との結びつき | |
大沢一郎先生の講義 | |
線に詩趣あり | |
谷口先生 | |
今里さんの建築について思う | |
卒業当時のこと | |
建築家の人間形成 | |
想いだすことども | |
設計態度 | |
建築家十話 | |
わたくしの建築観 | |
建築いまむかし | |
黄菊白菊 | |
受賞有感 | |
大阪の建築界のこと | |
建築家への道 | |
仕事と年齢 | |
教えることは習うこと | |
和風建築について | |
わが建築青春記 | |
資料編 都市建築論 |
<村野/藤吾‖著>
明治24〜昭和59年。佐賀県生まれ。早稲田大学理工科建築学科卒業。建築家。村野・森建築事務所を設立。日本建築家協会会長などを務めた。日本建築学会賞などを受賞。文化勲章受章。
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