事例詳細
- 概要
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- 質問内容
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- 回答
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- 参考文献No.1『あるマガタマの話』巻末に「きつね祭由来記」が収録されており、寛政年間に始まった経緯が書かれている。以来この行事は毎年盛大に行われてきたが、明治維新の廃仏毀釈の余波を受けて中絶に至った。昭和28年、中央通り連合商業会のの催しとして復活し、例年7月に行われている。この祭行事は、男狐社とされている市内新屋敷区の長塚稲荷と、女狐社の岡谷区のお福稲荷の双社から、衣裳をこらした付人の行列が、騎乗の花嫁花婿を守って約2キロの道中を練り歩き、中央通りの大辻で挙式するしきたりになっている。二つの稲荷社の来歴についても記されている。
- 参考文献No.2 『目で見る信州の祭り大百科』p279に「岡谷きつね祭り」の項目があり紹介されている。岡谷市内新屋敷の豊川稲荷と、岡谷区のお福稲荷の結婚式というのがこの祭りで、昭和28年に始められたとある。この資料では明治以降の両稲荷社の信仰について記され、岡谷の生命線である生糸産業の衰退による不況からの盛り返しをと考えたのが、商売の神様の結婚式だったとある。現在の祭りの様子についても説明されている。
- 分類
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風俗習慣. 民俗学. 民族学(380)
- 事前調査事項
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- 参考資料
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- キーワード
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きつね祭
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長塚稲荷
,
豊川稲荷
,
お福稲荷
- 解決状況
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解決
- 調査区分
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事実調査
- 質問区分
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郷土
- 依頼者区分
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一般
- 登録日
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2011/11/13
- 更新日
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2015/03/24