事例詳細
- 概要
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- 質問内容
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- 回答
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- 茅野市となった経緯から市名の由来を調べたところ、昭和23年5月3日町制施行により「ちの町」が誕生。その後昭和30年2月1日町村合併により「茅野町」となった。この時は茅野駅の名称を採ったとのこと。昭和33年8月1日茅野町が茅野市となる。『茅野市史 下巻』『ちの町史』には、茅野駅の名称を採用した以前のことは記載されていなかった。ちの町の前身である「永明村」は、「矢ケ崎・塚原・横内・上原村」の合併であり、「茅野村」という名称は宮川地籍(現在の宮川茅野・西茅野地区)にある。こちらの茅野村は『諏訪藩主 手元絵図』(享保18年)にも記載されている。『茅野村史話』によれば、当初茅野駅は宮川茅野に置かれる予定だったが、宮川村と永明村で誘致活動を行った結果、永明村になったとの記述がある。地名の「茅野」の由来についてはここにも記載が無く、『日本歴史地名体系20』の「茅野村」の項に「古くは千野郷と呼ばれ、神使御頭之日記の天文九年の条に「内県介 千野」とみえ…」と記述があることから、以前は「千野」という漢字だったと思われる。『地名でわかる茅野のむかし』17p〜『諏訪舊蹟誌』に「智弩」について記述があるものの、「おそらく」や「かもしれない」という書かれ方であり、確実な答えが掲載された文献が見当たらない。
- 分類
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地理. 地誌. 紀行(290)
- 事前調査事項
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- 参考資料
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- キーワード
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- 解決状況
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未解決
- 調査区分
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文献紹介
- 質問区分
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郷土
- 依頼者区分
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一般
- 登録日
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2013/12/18
- 更新日
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2015/03/25