資料詳細・全項目

タイトル 歴史人
タイトルヨミ レキシジン
巻号 2025.7
巻号ヨミ 2025 . 7
出版者 ABCアーク
出版者ヨミ エービーシー/アーク
特集タイトル ここが変わった! 日本史の教科書70
税込み価格 ¥1100
本体価格 ¥1000
子書誌雑誌MARC No. 0410700190
親書誌雑誌MARC No. 0410700000
雑誌コード-月号数 19653-07
共通雑誌コード 4910196530754
定期刊行物コード 491019653075401000
発行日 2025/06/06
大きさ 30cm
巻号区分 00
年月次 2025-7
巻数(数字) 16
号数(数字)
通巻号(数字) 175
年月次(数字) 20250700
和洋区分 0
データレベル F
更新レベル 0001
親書誌MARC種別 K
子書誌MARC種別 K
最終更新日付 20250605
一般的処理データ 20250605 2025 JPN
レコード作成機関(国名コード) JP
レコード作成機関(レコード作成機関名) TRC
レコード作成機関(レコード提供年月日) 20250605
レコード作成機関(目録規則) NCR2018

内容細目

第1目次 タイトル 保存版特集 こんなに変わった 歴史教科書
第1目次 タイトル関連情報 あなたの学んだ歴史はもう古い!?
第2目次 タイトル 「日本史」を学ぶ醍醐味と面白み
第2目次 タイトル関連情報 過去を学ぶことで現代と未来が見てくる
第2目次 責任表示1 小和田哲男‖監修・文
第2目次 開始ページ 16
第2目次 タイトル 教科書は「新説」をどのように取り入れるのか?
第2目次 タイトル関連情報 「変わる歴史教科書」その改定までのプロセスを解説
第2目次 責任表示1 河合敦‖監修・文
第2目次 開始ページ 22
第2目次 タイトル ここまで変わった古代
第2目次 タイトル関連情報 卑弥呼の後継者は何者?「大和朝廷」という言葉が消失?聖徳太子の功績はウソ? 発掘調査・研究の進歩によって古代史の記述が180度変わる!
第2目次 責任表示1 瀧音能之‖監修・文
第2目次 タイトル <1>卑弥呼が治めた邪馬台国に関する記述が変更に
第2目次 開始ページ 30
第2目次 タイトル <2>卑弥呼の後継者の名前は?
第2目次 タイトル <3>「大和朝廷」という名称が教科書から消えた?
第2目次 開始ページ 32
第2目次 タイトル <4>4〜7世紀に海を渡って日本にやってきた人々の名称か変わった!
第2目次 開始ページ 33
第2目次 タイトル <5>ヤマト政権の朝鮮半島進出に関する記述が変わった
第2目次 開始ページ 34
第2目次 タイトル <6>小野妹子以前の“本当の第1回遣隋使”の注目度が上がった
第2目次 開始ページ 35
第2目次 タイトル <7>聖徳太子の名前が違う?
第2目次 開始ページ 36
第2目次 タイトル <8>聖徳太子の肖像は別人のものだった?
第2目次 タイトル <9>冠位十二階や憲法十七条は聖徳太子個人の功績ではない
第2目次 開始ページ 37
第2目次 タイトル <10>入鹿父子を滅ほしたのが「大化改新」ではない
第2目次 開始ページ 38
第2目次 タイトル <11>「公地公民」は即時に実現したわけではない?
第2目次 タイトル <12>「天皇」という称号を初めて使用した年代が変わった?
第2目次 開始ページ 40
第2目次 タイトル <13>藤原京が大規模な都であることが判明!
第2目次 開始ページ 41
第2目次 タイトル <14>日本最古の鋳造貨幣が変わった!
第2目次 開始ページ 42
第2目次 タイトル <15>遣唐使の“廃止”に関する記述が変化した
第2目次 開始ページ 43
第2目次 タイトル <16>阿弖流為の反乱者から抵抗の英雄というイメージ転換
第2目次 開始ページ 44
第2目次 タイトル <17>「国風文化」は唐の文化から完全に脱却したものではない
第2目次 開始ページ 45
第2目次 タイトル ここまで変わった中世
第2目次 タイトル関連情報 院政期からが中世?鎌倉新仏教は少数派?元寇とはいわない? 歴史の捉え方が教科書に反映される
第2目次 責任表示1 伊藤賀一‖監修・文
第2目次 責任表示2 呉座勇一‖監修・文
第2目次 タイトル <1>中世は院政期までさかのぼる
第2目次 開始ページ 48
第2目次 タイトル <2>武士の発生は地方から中央へ
第2目次 開始ページ 49
第2目次 タイトル <3>源平合戦は「内乱」と表現されるように
第2目次 開始ページ 50
第2目次 タイトル <4>なぜ鹿ケ谷の「陰謀」は「謀議」に変更されたのか
第2目次 タイトル <5>有名な源頼朝肖像はほとんどの教科書から消えた
第2目次 開始ページ 52
第2目次 タイトル <6>鎌倉幕府中興の祖といわれる北条時宗肖像は本人ではない?
第2目次 タイトル <7>足利尊氏の肖像画は騎馬武者像となる
第2目次 開始ページ 53
第2目次 タイトル <8>元寇という用語を避けるようになった
第2目次 開始ページ 54
第2目次 タイトル <9>文永の役の元軍撤退は暴風雨のせいではない
第2目次 開始ページ 55
第2目次 タイトル <10>いわゆる鎌倉新仏教は少数派だった
第2目次 開始ページ 56
第2目次 タイトル <11>後醍醐天皇の挙兵理由は理想実現のためではない
第2目次 開始ページ 57
第2目次 タイトル <12>足利義満は天皇の上に立ってはいない
第2目次 開始ページ 58
第2目次 タイトル <13>北山文化・東山文化を一括して室町文化とする
第2目次 開始ページ 59
第2目次 タイトル <14>一揆の説明が抵抗から手段へと変わる
第2目次 開始ページ 60
第2目次 タイトル <15>北海道・沖縄の動きも重視するようになる
第2目次 開始ページ 61
第2目次 タイトル ここまで変わった戦国時代
第2目次 タイトル関連情報 種子島への鉄砲伝来、信長の比叡山焼き討ち、北条早雲と斎藤道三の下剋上 誰もが知る戦国武将、合戦、出来事を現在の教科書はこう伝える!
第2目次 責任表示1 小和田泰経‖監修・文
第2目次 タイトル <1>戦国時代のはじまりの記述が変わった
第2目次 開始ページ 64
第2目次 タイトル <2>武田信玄の肖像画は別人だった
第2目次 開始ページ 66
第2目次 タイトル <3>フランシスコ・ザビエルの肖像画は別人だった
第2目次 タイトル <4>豊臣秀吉は農民出身ではなかった
第2目次 開始ページ 67
第2目次 タイトル <5>応仁の乱の原因は、足利義政と義視の対立ではなかった
第2目次 開始ページ 68
第2目次 タイトル <6>「応仁の乱」ではなく、「応仁・文明の乱」と呼ぶ
第2目次 タイトル <7>北条早雲の伊豆侵攻は下剋上ではなかった
第2目次 開始ページ 70
第2目次 タイトル <8>北条早雲は伊勢宗瑞とも呼ばれる
第2目次 タイトル <9>鉄砲を伝えたのは中国人倭寇だった
第2目次 開始ページ 72
第2目次 タイトル <10>鉄砲が伝来したのは種子島だけではない
第2目次 開始ページ 73
第2目次 タイトル <11>戦国最強とされた武田騎馬隊は存在しなかった
第2目次 開始ページ 74
第2目次 タイトル <12>長篠合戦の三段撃ちはなかった
第2目次 開始ページ 75
第2目次 タイトル <13>斎藤道三は親子二代の国盗りだった
第2目次 開始ページ 76
第2目次 タイトル <14>比叡山焼き討ちは大規模ではなかった
第2目次 開始ページ 78
第2目次 タイトル ここまで変わった江戸時代
第2目次 タイトル関連情報 鎖国はなかった!?実は「踏み絵」とは呼ばれていない!?徳川綱吉は名君だった!? もっとも平和で栄えた「江戸時代」の記述が変わった!?
第2目次 責任表示1 大石学‖監修
第2目次 責任表示2 上永哲矢‖文
第2目次 タイトル <1>関ケ原の戦いの西軍盟主が石田三成ではなくなった!
第2目次 開始ページ 82
第2目次 タイトル <2>鎖国は本当はなかった!?
第2目次 開始ページ 83
第2目次 タイトル <3>「島原の乱」とは言わない!?
第2目次 開始ページ 84
第2目次 タイトル <4>キリスト教信者を見つけるためのあの行為をなんと言い表すか
第2目次 開始ページ 85
第2目次 タイトル <5>「生類憐みの令」は悪法ではなかった!?
第2目次 開始ページ 86
第2目次 タイトル <6>徳川綱吉は暴君?名君?
第2目次 開始ページ 87
第2目次 タイトル <7>江戸の「リサイクル」がコラムで注目
第2目次 開始ページ 88
第2目次 タイトル <8>「士農工商」の記述は本当に消えたのか?
第2目次 開始ページ 89
第2目次 タイトル <9>農民の暮らしを規制した「慶安の御触書」も消滅の危機
第2目次 開始ページ 90
第2目次 タイトル <10>江戸時代の「銀座」は京都にもあった
第2目次 開始ページ 91
第2目次 タイトル <11>江戸時代における幕府の直轄地の呼び名を「天領」とは言わない!?
第2目次 開始ページ 92
第2目次 タイトル <12>賄賂まみれの政治家・田沼意次の評価が変わっている
第2目次 開始ページ 93
第2目次 タイトル <13>「大奥」「吉原」はいまだ教科書では教えない!
第2目次 開始ページ 94
第2目次 タイトル <14>百姓一揆の原因は「苦しい生活」だけなのか
第2目次 開始ページ 95
第2目次 タイトル ここまで変わった幕末・明治時代
第2目次 タイトル関連情報 「ペリー来航に狼狽し開国させられた江戸幕府」はもう古い! 現代の教科書が伝えるペリー来航から明治維新まで
第2目次 責任表示1 町田明広‖監修・文
第2目次 タイトル <1>ペリー来航を以前から把握していた
第2目次 開始ページ 98
第2目次 タイトル <2>米国に対して弱腰の外交ではなかった
第2目次 開始ページ 99
第2目次 タイトル <3>日米修好通商条約は不平等ではなかった
第2目次 開始ページ 100
第2目次 タイトル <4>横浜を開港地としたのは岩瀬忠震だった
第2目次 開始ページ 101
第2目次 タイトル <5>岩倉使節団の視察は後の欧化政策に寄与した
第2目次 開始ページ 102
第2目次 タイトル <6>「四民平等」がスローガンではなくなった
第2目次 開始ページ 103
第2目次 タイトル <7>北方開発には屯田兵以外の人々も動員された
第2目次 タイトル <8>明治維新の範囲が広がった
第2目次 開始ページ 104
第2目次 タイトル <9>坂本龍馬の功績が見直された
第2目次 開始ページ 105
第2目次 タイトル <10>西郷隆盛の肖像は親族を参考に描かれた
第2目次 タイトル 江戸城天守再建シンポジウム「決起交流会」が開催!
第2目次 開始ページ 106
第2目次 タイトル 「微差」で知る教科書のアップデート
第2目次 タイトル関連情報 事件名の変更や偉人名の追加などから学ぶ
第2目次 責任表示1 河合敦‖監修・文
第2目次 開始ページ 108
第1目次 タイトル 連載
第2目次 タイトル 歴史の最前線特報 民家の仏壇から国宝級の新発見 藤原秀衡が奉納した経巻の一部が発見!
第2目次 責任表示1 八重樫忠郎‖監修・文
第2目次 開始ページ
第2目次 タイトル 栗山英樹のレキシズム<第18回>橋本左内がなぜ天才といわれ、どのようなことを日本に遺したのか!?
第2目次 責任表示1 栗山英樹<2023WBC日本代表監督>
第2目次 責任表示2 角鹿尚計<橋本佐内研究の第一人者・福井県立大学客員教授>
第2目次 開始ページ 12
第2目次 タイトル 再発見!ニッポンの歴史の舞台を旅する 福岡県福岡市 本陣跡、防壁、蒙古たちの塚、顕彰碑…etc. 元寇・蒙古人たちとの戦いの痕跡をめぐる
第2目次 開始ページ
第2目次 タイトル 歴史人かわら版
第2目次 開始ページ 113
第2目次 タイトル 次号予告&アンケート
第2目次 開始ページ 114