概要 |
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質問内容 |
- 諏訪の三辻「下社御射山の辻相撲」・「四本柱免許状」について詳しく知りたい。
写真等も見たい。
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回答 |
- 三辻・・・神宮寺の十五夜相撲・下社御射山相撲・神領田沢村の二百十日相撲(郷土史下の原293p)戦前まで下社山王台にて御射山相撲が行われていたとの記載あり。’(下諏訪町体育史91p)
- 正調相撲踊りの甚句「揃ったそろったよ稲穂が揃った・・・」の奥甚句に始まり「とこどっこいどっこい」と合いの手を入れながら相撲の面白みを現してゆく。下諏訪町体育協会史(p92)に記載
- 1846(弘化3)年江戸相撲御司から四本柱の免状を受ける。1958年までは四本柱土俵で奉納相撲が行われていた。
- 御射山相撲について・・・参考文献「村の歳時記子どもの大正生活誌4(175p-178p)」「郷土誌下の原(293p-295p)」「下諏訪町体育協会史(87p-93p)」「下諏訪町史民俗(p695-697)」
- 諏訪の力士について「信州力士伝」江戸・明治・大正・昭和が3冊に記載。
- 「諏訪の近世史」の中に相撲・力士について記載あり805p
- 「大いなる諏訪祭り」の中で相撲神事について歴史等が記載されている。江戸時代の後半辻相撲が盛んになる。下諏訪の御射山の辻、八朔の長手の辻、二百十日の田沢(茅野)の辻、上社の十五夜の辻、小萩(岡谷)の辻、照光時(岡谷)の辻が代表的。また相撲を司る吉田司家から永代四本柱、永代太鼓櫓が認められていたとの記載有。
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