概要 |
- 下諏訪町の修験道・「講(江戸時代末期のの庶民の信仰集団)」について
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質問内容 |
- 下諏訪の修験道「講」について、成り立ち、種類などについて詳しく知りたい。現在まで残っているのか、残っているものについて詳しく知りたい。また、湯殿三山講(三山派)の三山(さんやま)はどこの山を指しているのか詳しく知りたい。
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回答 |
- 参考文献5の下諏訪町誌中巻に「修験道・講」について成り立ちや変遷についての記載あり、各村々の「講」について知ることができる。また「講」については、参考文献4の「まるごと博物館~宝探し隊のページ~(web)に講の種類(同信仰・相互扶助・職業別の組織など)や、それどれの特徴などもヒアリング資料として載っている(レファレンス資料55)。参考文献2に民間信仰として、「講」について書かれている。
- 参考文献5のp639の宝光院(敬愛社)の中で湯殿三山(さんやま)講について羽黒山との関わりについて書かれている。P3639-644 参考文献3にも同様のことが書かれている。
- 下諏訪図書館に「諏訪郡下諏訪村砥川の三山ノ国」という絵図の複製所蔵、出典不明だが、二ツ山(羽黒山)正観世音菩薩、三峰山(湯殿山)大日如来、鷲ヶ峰(月山)阿弥陀如来と記されている(明治三十五年)。この絵図には餅屋、楢(奈良)落合、悪平、ホーロクなどの名などの書き込みもある。(レファレンス資料)参考文献1(P330)文政9年(1826)には白鷺山の中腹に三山の御本地仏大日如来・阿弥陀如来・聖観音などのお姿を刻んだ石仏を立てて山麓には能除大師のお姿を立てた、という一文があり、また三山信仰の様子が書かれている。参考文献7に写真が載っている。。
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