概要 |
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質問内容 |
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回答 |
『下諏訪町誌』上巻 p.572~573 には、以下のように書かれている。
諏訪は「古事記」に洲羽、「日本書紀」に須波、「旧事記」に須羽、雑書に趨波等、色々な表音文字が用いられているが、その音はスハである。諏訪と書くのは、「続日本紀」に「畿内七道諸国郡郷の名は好き字を著けよ」と見え、朝廷の制度により、地名には好字をつけたことに始まるのである。 信濃の諏訪の地名の意味については、 ㈠本居宣長は「古事記」国譲りの神話に基づいて、須夫麻理(つぼまる意)が約まって、スハとなったものであろうといっている(「古事記伝」)。 ㈡平田篤胤は同じく国譲神話によって、建御名方刀美神が「すは此処ぞ我か住むべき国也」といわれたからだと説いている(「古史傳」)。 ㈢飯塚久敏は小寺清之の説によって、スハは岨(そは)の転訛だといっている(「諏訪旧蹟誌」)。 ㈣延川和彦は、スハは住庭(すみにわ)のミニが省略されたものだといっている(「諏訪国沿革考」)。 などの諸説がある。
また、上記と同じく『下諏訪町誌』上巻には、続けて次のような説も紹介されている。
近代の言語学者金沢庄三郎氏は言語学と史学の立場から、スハはソホの転訛したもので、朝鮮語に由来していると説いている。朝鮮新羅の古名が征伐(そほる)で、ソホはルが約されたもので、日本のソホ、スワ等の地名は、朝鮮から日本に移動して来た民族が、故郷の地名をその現在地に移したものであり、その著書「日鮮同祖論」によれば、周防国には朝鮮系統の地名が多く、周防国そのものも賀茂真淵はこれをスハと訓んだ。周芳国庄周方(すおうのくにさばきすは)大神の神主大宮司系譜伝に「是に南方富命、周防の音を以て、科野国中を諏訪と名づけ、御父大国主大神の禪(ゆずり)として、領き御坐します」とある。
- 他にも、これらの資料に記述がある。
『長野県の地名 その由来』p.94~96 『信濃地名新考』p.27~36 『湖沼学上より見たる諏訪湖の研究』p.1306~1308 『角川日本地名大辞典』20 p.635 諏訪郡 の項 『信濃史源考』 p.146.147
回答日:2017年(平成29年)2月15日
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