概要 |
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質問内容 |
- (1)尋常小学校と尋常高等小学校の違い
(2)諏訪高等女学校(今の二葉高校)は何年制か(大正10年頃) (3)諏訪地域の裁縫の専修学校(何年制化は不明、高島裁縫専修学校ではない)へ行った質問者の祖母は3年目(大正12年)8月に受験をしたが、なぜ在学中に受験できたのか (4)上記の専修学校は冬期のみだったが、その学校はどのような存在だったか (5)小学校のあと2年間空白があり、質問者の祖母は専修学校へ行ったが、(3年目が大正12年)当時の高等科(詳ししくは分かっていない)がその2年間にあたるか
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回答 |
- 1907(明治40)~1941 尋常小学校6年 高等小学校2年
尋常小学校は義務教育 『諏訪市史 下』p624~ 『図説 教育の歴史』 『20世紀フォトドキュメント 第4巻 教育』 『日本の教育 古代から現代までの歴史と変遷』
- (2)4年制(内専科1年)
『長野県諏訪二葉高等学校七十年誌』p150~大正期の学年や科目などの解説あり
- (3)記述見つけられず。
ただ当時の資料の学校への「入学願い」をみると、決まった月に出されていない。 『長野県諏訪実業高等学校のあゆみ』p196など参照 上記学校ではないが高島裁縫専修学校の入退学の規定の項目はあり、当時の就学問題などより臨時入学等もあったとみられる。 『長野県諏訪実業高等学校のあゆみ』p215
- (4)『長野県教育史 別巻2』p131に1900(明治33年)1.12 高島小(諏訪)製糸工業休業期の裁縫教授のため、冬期特別裁縫専修科を設置の記述あり(高島裁縫専修学校:4年制は明治35年設置)。また、『長野県教育史 第2巻』p578に実業補習学校についての記述あり
- (5)高等科は2年制なのでその可能性もあるかと思われるが、正教科4年補習科2年であり、補習科の2年かもしれない。小学校卒業が何年なのかを確認できれば絞り込めるかもしれない。当時は女子の就学が進まず、退学者も多かったので、家庭の事情などによって変わってくる可能性がある。
『長野県教育史 別巻2』p346~ 参照
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