概要 |
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質問内容 |
- 縄文時代の頃から、蓼科山を対象とした山岳信仰があったという内容の本を探している。それが無いようであれば、蓼科山や諏訪地域、長野県内の内容に限らず、全国的な内容のものでも構わない。
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回答 |
- 質問者は、原村の阿久遺跡発掘調査の報告書の考察の中で蓼科山が信仰の対象であったという内容の記述を見られていて、それに関連する内容の書籍を探しているとのこと。
蓼科山だけでなく、他県の内容に関しても記述のある、下記資料を提供した。 なお、茅野市史上巻、長野県史通史編①②、長野県史民俗編2-1にあたるが縄文時代の山岳信仰に関する記述は無かった。
- 提供資料①
「原村誌 上巻」12310802 N241ハ P.432,433 阿久遺跡発掘調査の内容に触れている。{長野県市町史誌目次情報データベース(http://misuzu-mokuji.net)で、「原村誌 上巻」の目次検索をすると、阿久遺跡に関する記述が見つかった。(平成29年12月21日現在)}
- 提供資料②
「阿久遺跡と縄文人の世界」12178753 N209ア P.27 阿久遺跡の想像図や復元写真を用いながら、阿久遺跡から蓼科山を山岳信仰の対象としていたという内容が記されている。
- 提供資料③
「霊山と日本人」12200349 163ミ P.67~69 蓼科山と阿久遺跡の関係だけでなく、浅間山と群馬県中野谷松原遺跡、妙義山と群馬県野村遺跡など、全国的な山と遺跡の関係について触れられている。
- 提供資料④
「縄文の神 よみがえる精霊信仰」12293046 N160ト P.96~98 「カンナビ(山)」が自然崇拝の象徴であり、それは縄文時代には信仰の対象となっていたという内容が記されている。
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